2010年05月15日

天平の甍

息子が学校の宿題で買った井上靖の「天平の甍」を読んだ。遣唐使が鑑真を日本に連れ帰るまでの一大抒情詩であった。
そういえば、2年ほど前に神田昌典さん達と唐招提寺へ行ったことがあった。
ちょうど改築中で、甍を間近で見ることが出来た。

いわゆる感想文を今かくとこんなんになるかなぁと、書いてみた。

***
教科書とかで遣唐使という人たちが偉業を成し遂げたことは、文字のレベルでは知ってはいたが、これほどの苦行であるとは思っていなかった。
中でも私の心を強く打った人物は、業行である。普照が生き残って鑑真和上を連れ帰るまで21年であるが、業行は何と、唐に30年滞在し、一文字も間違わないように写経を続けていた。結果的に、業行は帰りの船の中で自らが写経した経巻とともに、海の底に沈んでしまうのであるが、もし、彼がこれを生きて日本に持ち帰っていたとしたら、それこそが戒律を備えるために大きな役割を果たしたと思えてならない。小説の中で、業行は、「私の写したあの経典は日本の土を踏むと、自分で歩き出しますよ。私を棄ててどんどん方々へ歩いて行きますよ」と述べている。その写経が、戒律を成すために十分なできばえであったことが、このことからもうかがえる。業行の最後は、普照の夢を通じて、大時化の海で、写経が船外へ放り出されてしまう描写として書かれているが、実際に、業行の最期は、その写経を追って海へ飛び込んだのではないかと私も強く感じている。
そもそも、後で残っている話は、生き残った人に強く焦点が当てられて、英雄視しすぎることが多いと思うが、この話に登場する遣唐使たち(もちろん鑑真も)は、最後はまちまちであるが、皆、同じ志を持って毎日を生きている。普照によって、盲目の鑑真は日本に導かれ、唐招提寺という伝説の寺が建立されるのであるが、業行を含めて、他の船に乗った遣唐使すべての偉業であると感じた。井上靖の文体は、正直、難解で、せりふも少なく、あらすじをたらたらと述べているようにも感じられたが、読み終わって感じることは、その表現こそが、千年以上も前に大自然と闘いながら人間の英知を磨いていった大きな偉業を際立たせているのではないかと思う。
誰もなしえなかったことを成し遂げるのは、いつも世も大変なことであると思うが、当時の人たちの頭脳も、現代人のそれ以上の輝きを放っていて、その歴史があるからこそ、我々の平和もあるのだと感じる。
arsene_u at 00:30│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by バナンダ   2010年08月15日 21:02
5 参考になりました
ありがとうございます

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The writer

内山雅人

Profile
TonyBuzan公認マインドマップインストラクター(これまでに40,000人超の方々に講座を実施)、一般社団法人学びコミュニケーション協会代表理事、有限会社ストリートランプ代表、一般社団法人ZERO理事、帝京科学大学非常勤講師、一般社団法人学び方を学ぶプロジェクト理事、特定非営利活動法人ぐんまHolistic Health College監事、教育ICTコンサルタント、メンタルコーチ、リテラシーコーチ、元高校教師、教師だった経験を生かし、東京秋葉原を拠点にセミナー、セッション、講演、コンサル、開発、執筆活動中。
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