学び
2014年04月23日
2013年10月03日
2011年02月02日
2011年01月25日
2011年01月19日
2010年06月05日
2010年05月20日
ルービックキューブ大会デビュー
息子がルービックキューブの大会デビューすることになった。
5月29日(土)の関西大会に出場する予定だったが、学校と部活を休まねばならず、迷っていたら、なんと、大会事務局の方が、内山のブログを見つけてくださって、6月6日(日)に川崎でも開催されることになったとメールをくれた。
日曜日なので、学校は休みだが部活はある。
顧問の先生にお願いに行ったところ、認めてくださった。所属する柔道部は、関東大会だ全国大会の予選だと、大変なときなのであるが、ルービックキューブのレベルを考えてくれたようだ。
何よりも、本人が、部活や学校ではやらせてしまって、結構、話題になっているのが効いたのかもしれない。
標準タイムは関西より川崎のほうが高い。
初出場なので分からないが、出場者のレベルも高いのかもしれない。
メンタルな面では、柔道もルービックキューブもかわらない。
検討を祈る。
ということで、「明日から中間テストなので暇がない」と息子がいうのだが、お願いして、買ったばかりのCEREVO CAM liveで本日のを撮影させてもらった。
本日の最高タイムは15秒72.
5月29日(土)の関西大会に出場する予定だったが、学校と部活を休まねばならず、迷っていたら、なんと、大会事務局の方が、内山のブログを見つけてくださって、6月6日(日)に川崎でも開催されることになったとメールをくれた。
日曜日なので、学校は休みだが部活はある。
顧問の先生にお願いに行ったところ、認めてくださった。所属する柔道部は、関東大会だ全国大会の予選だと、大変なときなのであるが、ルービックキューブのレベルを考えてくれたようだ。
何よりも、本人が、部活や学校ではやらせてしまって、結構、話題になっているのが効いたのかもしれない。
標準タイムは関西より川崎のほうが高い。
初出場なので分からないが、出場者のレベルも高いのかもしれない。
メンタルな面では、柔道もルービックキューブもかわらない。
検討を祈る。
ということで、「明日から中間テストなので暇がない」と息子がいうのだが、お願いして、買ったばかりのCEREVO CAM liveで本日のを撮影させてもらった。
本日の最高タイムは15秒72.
2010年05月10日
内山雅人、沢田淳子による学習法講座「スリー・アイ・ワークショップ」開催決定(7/4)!
内山、最近、あまりセミナーしてなかったのですが、マインドマップ&フォトリーディングインストラクターの沢田淳子さんとコラボして「知性とひらめきを統合する学びの場〜スリー・アイ・ワークショップ」と題する学習法セミナーを開催することになりました。
沢田さんは、ブザン・ワールドワイド・ジャパン副社長(当時。社長は神田昌典氏)を経て、内山とともにブザン教育協会の立ち上げに参画したいわば同志です。
二人とも教育協会を離れた今、独自の視点で学びの模索をしていたところ、たまたまいっしょに飲んだら、瞬時にセミナー開催が決定いたしました。
ところでスリーアイとは何ぞや?
Intelligence(知性)
Insight(洞察)
Integrator(統合)
の頭文字をとってスリーアイ。
知識をたくさん持つことが学びの定義だった時代は終わりを遂げており、この3つのハーモニーが学びには必要とされています。
でも・・・。
わかっちゃいるけど、どうやっていいかわからないという人が、ほとんどです。
その結果、学校では旧態依然とした方法がとられ、子どもと大人のアプローチはかけ離れていくばかり。
若者もモチベーションが続かない。
上司も解決法がわからない。
ここは、ひとつ本気で「学ぶ方法」について、形にしてみようではないか、と考えたわけです。
今回は、マインドマッパーとフォトリーダー対象にパイロット版で行います。
詳しくは↓
http://www.cre8ivity.jp/3iworkshop-p/
何か今すごくワクワクしてます。
沢田さんは、ブザン・ワールドワイド・ジャパン副社長(当時。社長は神田昌典氏)を経て、内山とともにブザン教育協会の立ち上げに参画したいわば同志です。
二人とも教育協会を離れた今、独自の視点で学びの模索をしていたところ、たまたまいっしょに飲んだら、瞬時にセミナー開催が決定いたしました。
ところでスリーアイとは何ぞや?
Intelligence(知性)
Insight(洞察)
Integrator(統合)
の頭文字をとってスリーアイ。
知識をたくさん持つことが学びの定義だった時代は終わりを遂げており、この3つのハーモニーが学びには必要とされています。
でも・・・。
わかっちゃいるけど、どうやっていいかわからないという人が、ほとんどです。
その結果、学校では旧態依然とした方法がとられ、子どもと大人のアプローチはかけ離れていくばかり。
若者もモチベーションが続かない。
上司も解決法がわからない。
ここは、ひとつ本気で「学ぶ方法」について、形にしてみようではないか、と考えたわけです。
今回は、マインドマッパーとフォトリーダー対象にパイロット版で行います。
詳しくは↓
http://www.cre8ivity.jp/3iworkshop-p/
何か今すごくワクワクしてます。
2010年04月23日
ゲッゲッゲゲゲのゲ
「ゲッゲッゲゲゲのゲ・・・
お化けにゃ学校も
試験もなんにもない
お化けにゃ会社も
仕事もなんにもない
お化けは死なない
病気もなんにもない」
幼少の頃、水木しげるさん作詞のこの主題歌をよく口ずさんでいた。
とにかく、「ゲゲゲの鬼太郎」は面白かったのだ。
当時は、まだ白黒アニメで、見方によっては、ウエンツのコンピューターグラフィックを駆使した画面よりも、興味深かったのではと思う。
この歌詞、子ども心にあこがれを持った。
なにせ「苦しいことと、面倒なことを全くしなくて、しかも楽しい」というのだ。
(・・・その割には、劇中に登場する妖怪達は、鬼太郎をはじめとして、それなりに苦労をしているが・・・)
まあ、しかし、現実的に考えると、人生は比較する対象が何もなかったら、感受性が失われてしまうので、本当はすごくつまらなくなる。
苦しいことがあるから、楽なことのありがたみがわかる。
死と隣りあわせだから、生きている幸せを感じることができる。
もう一歩すすんで、(「死」はともかくとして、)この歌詞に書かれている感性で仕事や勉強ができたら、それに越したことはないとも思うが・・・。
エジソンはこう言っている。
「私は生まれてこのかた、いわゆる労働というものをしたことがない」
だから、詰め込み教育をしている小学校を3ヶ月でくびになったのだ。
今は、エジソン的なアプローチが大変重要になってきている。
お化けにゃ学校も
試験もなんにもない
お化けにゃ会社も
仕事もなんにもない
お化けは死なない
病気もなんにもない」
幼少の頃、水木しげるさん作詞のこの主題歌をよく口ずさんでいた。
とにかく、「ゲゲゲの鬼太郎」は面白かったのだ。
当時は、まだ白黒アニメで、見方によっては、ウエンツのコンピューターグラフィックを駆使した画面よりも、興味深かったのではと思う。
この歌詞、子ども心にあこがれを持った。
なにせ「苦しいことと、面倒なことを全くしなくて、しかも楽しい」というのだ。
(・・・その割には、劇中に登場する妖怪達は、鬼太郎をはじめとして、それなりに苦労をしているが・・・)
まあ、しかし、現実的に考えると、人生は比較する対象が何もなかったら、感受性が失われてしまうので、本当はすごくつまらなくなる。
苦しいことがあるから、楽なことのありがたみがわかる。
死と隣りあわせだから、生きている幸せを感じることができる。
もう一歩すすんで、(「死」はともかくとして、)この歌詞に書かれている感性で仕事や勉強ができたら、それに越したことはないとも思うが・・・。
エジソンはこう言っている。
「私は生まれてこのかた、いわゆる労働というものをしたことがない」
だから、詰め込み教育をしている小学校を3ヶ月でくびになったのだ。
今は、エジソン的なアプローチが大変重要になってきている。
2010年04月01日
教育の本質?
私は、ドラマはオムニバスが結構好きで、連続物はめったに見ないが、水木しげるさんの作品に大きな芸術性を感じており、「ゲゲゲの女房」を見始めてしまった。
コレ脚本が面白い。
本日のストーリーには感動した。教育の本質を垣間見た気がしたからである。
水木しげるの夫人である武良布枝は、少女時代、背が高く男子から「電信柱」というあだなをつけられ、外出したり、めだったりすることを極端に嫌っている。
盆踊りの日も、楽しみにしている子ども達がたくさんいる中、
「あんまり背が伸びんように」
と手を合わせてご先祖様に神頼みしたりして、からかわれるのがいやで踊りが好きにもかかわらず、盆踊りへいく決心がつかない。
そんな布枝に祖母が「そのお願いは無理。でも、願い方を変えたらご先祖様はかなえてくれるかもしれない」といって
「ノッポでもくよくよせんでいられるように」願いなさいという。
結果的に、布枝は、男子達のいじめともいえる「からかい」に打ち勝って踊り続ける、というストーリーである。
内面のアプローチを変えることで、問題が解決することを祖母は見事にやってのけていて、からかっている男子を注意しようとする父親を、「だまってみているように」ととどめたりする場面もある。
実は、これこそが、時代を問わず、教育によって人が身につけなければならないリテラシーであると思えてならない。このストーリーに自己を投影した場合、感動できる人が多いであろう事がそれを証明してくれる。
「いじめ」が社会問題となっている昨今、同じことが生じた場合、現代なら、どう問題解決をするだろう。
まず、布枝をからかっている男子たちから放す。
男子を呼んで説諭し、いじめないように指導する。
布枝に「安心していい」ことを伝える。
といった流れになることが多い。
大人は、確かに、修羅場を見ずにすむので、解決した気にはなれる。
・・・が、当人達は内面的に何も解決を見ていないのである。そればかりか、しこりが残り、以後の問題解決能力に大きな妨げとなる。
念のために申し上げておくが、「いじめ」を放置したり、いじめられている側の責任ですべてが解決できるなどということを言っているのではない。大人の力は必要であるし、強制的に事態を収拾せねばならないことが多いことも十分承知している。
ただ、こどもたちのコミュニケーションの中で、トラブルを乗り越えて、お互いが、幸せを感じることができるためには、内発的な解決力を無視することはできないということをいいたいのでである。
ドラマでは、男子生徒の内面は現時点では語られないでいるが、からかっている男子の心中にも何かしら悩みはあるものである。それに付和雷同している子の心にも葛藤はあるに違いない。
つらい経験がトラウマにならない時点で、解決できるアプローチを布枝の祖母のように示唆していく大人が、現代でもたくさんいて欲しい。
すごい勢いで、それを感じながらドラマに見入っていた。
コレ脚本が面白い。
本日のストーリーには感動した。教育の本質を垣間見た気がしたからである。
水木しげるの夫人である武良布枝は、少女時代、背が高く男子から「電信柱」というあだなをつけられ、外出したり、めだったりすることを極端に嫌っている。
盆踊りの日も、楽しみにしている子ども達がたくさんいる中、
「あんまり背が伸びんように」
と手を合わせてご先祖様に神頼みしたりして、からかわれるのがいやで踊りが好きにもかかわらず、盆踊りへいく決心がつかない。
そんな布枝に祖母が「そのお願いは無理。でも、願い方を変えたらご先祖様はかなえてくれるかもしれない」といって
「ノッポでもくよくよせんでいられるように」願いなさいという。
結果的に、布枝は、男子達のいじめともいえる「からかい」に打ち勝って踊り続ける、というストーリーである。
内面のアプローチを変えることで、問題が解決することを祖母は見事にやってのけていて、からかっている男子を注意しようとする父親を、「だまってみているように」ととどめたりする場面もある。
実は、これこそが、時代を問わず、教育によって人が身につけなければならないリテラシーであると思えてならない。このストーリーに自己を投影した場合、感動できる人が多いであろう事がそれを証明してくれる。
「いじめ」が社会問題となっている昨今、同じことが生じた場合、現代なら、どう問題解決をするだろう。
まず、布枝をからかっている男子たちから放す。
男子を呼んで説諭し、いじめないように指導する。
布枝に「安心していい」ことを伝える。
といった流れになることが多い。
大人は、確かに、修羅場を見ずにすむので、解決した気にはなれる。
・・・が、当人達は内面的に何も解決を見ていないのである。そればかりか、しこりが残り、以後の問題解決能力に大きな妨げとなる。
念のために申し上げておくが、「いじめ」を放置したり、いじめられている側の責任ですべてが解決できるなどということを言っているのではない。大人の力は必要であるし、強制的に事態を収拾せねばならないことが多いことも十分承知している。
ただ、こどもたちのコミュニケーションの中で、トラブルを乗り越えて、お互いが、幸せを感じることができるためには、内発的な解決力を無視することはできないということをいいたいのでである。
ドラマでは、男子生徒の内面は現時点では語られないでいるが、からかっている男子の心中にも何かしら悩みはあるものである。それに付和雷同している子の心にも葛藤はあるに違いない。
つらい経験がトラウマにならない時点で、解決できるアプローチを布枝の祖母のように示唆していく大人が、現代でもたくさんいて欲しい。
すごい勢いで、それを感じながらドラマに見入っていた。
2010年03月12日
正しい情報?
最近、新聞やニュース番組が面白くない。
若い頃は、年がいったらどんどん面白くなっていくと思っていたが、どうやら違うらしい。
情報を得る手段が新聞や雑誌とあってもラジオしかなかった時代は、そこで伝えられる情報には重みがあった。そして、皆、その重みを求めて媒体を選んだ。
なので記事がどれくらい有益かで競争が起きた。
今はといえば、情報を入手する手段は山のようにある。
そのため、新聞やニュースは、すぐに人をひきつけられるゴシップを好んで流すようになり、本来、慎重に扱うべき話題もゴシップ的に伝える。
今後は、情報媒体がもっと流行歌化していくことだろう。
重みのある情報はさがすものではなく、自分でつないでつくっていくものとなった。
どうやってこどもに伝えよう?
若い頃は、年がいったらどんどん面白くなっていくと思っていたが、どうやら違うらしい。
情報を得る手段が新聞や雑誌とあってもラジオしかなかった時代は、そこで伝えられる情報には重みがあった。そして、皆、その重みを求めて媒体を選んだ。
なので記事がどれくらい有益かで競争が起きた。
今はといえば、情報を入手する手段は山のようにある。
そのため、新聞やニュースは、すぐに人をひきつけられるゴシップを好んで流すようになり、本来、慎重に扱うべき話題もゴシップ的に伝える。
今後は、情報媒体がもっと流行歌化していくことだろう。
重みのある情報はさがすものではなく、自分でつないでつくっていくものとなった。
どうやってこどもに伝えよう?
2010年03月05日
少しいいことがありました。
今日、少しいいことがありました。
でもそれは、一般的には、たいしたことでないかもしれないし、
ひょっとすると、あまりいいことではないのかもしれません。
でも、よかったと感じている自分がいます。
私は、マインドマップインストラクターというのをやっているのですが、
それが今日、大変役に立ちました。
セミナーで日頃伝えていることを自分自身が体感しただけなのですが、
今日は、重要なところでものをいいました。
損得なしの結果でした。
そんなことを思いながら台所にいったら、包丁を足に落としてしまいました。
しかし、刃ではないところが足にあたり、事なきを得ました。
無性に何かに感謝したくなりました。
でもそれは、一般的には、たいしたことでないかもしれないし、
ひょっとすると、あまりいいことではないのかもしれません。
でも、よかったと感じている自分がいます。
私は、マインドマップインストラクターというのをやっているのですが、
それが今日、大変役に立ちました。
セミナーで日頃伝えていることを自分自身が体感しただけなのですが、
今日は、重要なところでものをいいました。
損得なしの結果でした。
そんなことを思いながら台所にいったら、包丁を足に落としてしまいました。
しかし、刃ではないところが足にあたり、事なきを得ました。
無性に何かに感謝したくなりました。
2010年02月26日
フィギュアに感動
フィギュアスケート、男女ともメダルを獲得できました。
本当におめでとうございます。また、お疲れ様でした。
やはり、浅田真央選手とキムヨナ選手のライバル対決は抜きんでていたと思います。
きっと将来、
「この2人がいなかったら、今日のスケート界はなかった」
と言われる歴史に残る人物になるでしょう。
・・・と、外野は簡単にいいますが、本人達は、国民の期待やら、政治的背景やら、ルールの変更やら、その時の時勢やら、しょって立つものと適応しなければならないものがたくさんあり、それはそれは、ご苦労だったと思います。
今回、ヨナ選手は全体の演技構成に磨きをかけていく中で、難しい技を入れていって、表現やイメージとよくとけ込んでいたと思います。そして、パーフェクト。
一方、真央選手は、序盤から、技を並べにいってしまった雰囲気が感じられました。表情がかたく彼女らしくないなと思いながらみていましたが、トリプルアクセルは見事に成功、その後のステップも大迫力でした。が、つまずいて(?)しまったりとありえないミスも出てしまいました。
やはり、「パーフェクト」と「ノーミス」は違うのだなと、再認識させられました。
あれだけの超一流の選手ですから、ノーミスで演技をすれば最高点が出るはずなのですが、ノーミスを目指して、ひとつひとつをまとめようとすると、自らの最高のパフォーマンスには届かないのでしょう。その意味では、パーフェクトとは、ある種のゾーン(フロー)状態に入ったレベルでプラスアルファまでも表現できるということかもしれません。それは、技をつなげていくことではなく、全体のイメージの要素を技に凝縮できるか否かにかかっているのでしょう。
真央選手はインタビューで「いろいろ長かったがあっという間に終わってしまった4分間だった」と直後に答えていました。これは、少なくとも本人としては納得しながら演技ができなかったということだと思います(何でその状態でトリプルアクセルを2回も成功できたのかがむしろ不思議なくらいすごいですが・・・)。裏を返せば、過去にオリンピックで伊藤みどりしか成功させていないトリプルアクセルを3回も成功させた程度では、全く満足できないという超ハイレベルな境地で演技をしていたことになります。
その遙か上をいったライバルのキムヨナ選手。母国での注目度は真央選手を凌ものであったでしょうが、なんというメンタルタフネス!
お互いがお互いを尊敬しあっているように、ひとりではここまでは達せなかったはずです。
今後の2人の対決がますます楽しみです。
また、これに勇気をもらう子ども達がひとりでも増えるといいですね。
本当におめでとうございます。また、お疲れ様でした。
やはり、浅田真央選手とキムヨナ選手のライバル対決は抜きんでていたと思います。
きっと将来、
「この2人がいなかったら、今日のスケート界はなかった」
と言われる歴史に残る人物になるでしょう。
・・・と、外野は簡単にいいますが、本人達は、国民の期待やら、政治的背景やら、ルールの変更やら、その時の時勢やら、しょって立つものと適応しなければならないものがたくさんあり、それはそれは、ご苦労だったと思います。
今回、ヨナ選手は全体の演技構成に磨きをかけていく中で、難しい技を入れていって、表現やイメージとよくとけ込んでいたと思います。そして、パーフェクト。
一方、真央選手は、序盤から、技を並べにいってしまった雰囲気が感じられました。表情がかたく彼女らしくないなと思いながらみていましたが、トリプルアクセルは見事に成功、その後のステップも大迫力でした。が、つまずいて(?)しまったりとありえないミスも出てしまいました。
やはり、「パーフェクト」と「ノーミス」は違うのだなと、再認識させられました。
あれだけの超一流の選手ですから、ノーミスで演技をすれば最高点が出るはずなのですが、ノーミスを目指して、ひとつひとつをまとめようとすると、自らの最高のパフォーマンスには届かないのでしょう。その意味では、パーフェクトとは、ある種のゾーン(フロー)状態に入ったレベルでプラスアルファまでも表現できるということかもしれません。それは、技をつなげていくことではなく、全体のイメージの要素を技に凝縮できるか否かにかかっているのでしょう。
真央選手はインタビューで「いろいろ長かったがあっという間に終わってしまった4分間だった」と直後に答えていました。これは、少なくとも本人としては納得しながら演技ができなかったということだと思います(何でその状態でトリプルアクセルを2回も成功できたのかがむしろ不思議なくらいすごいですが・・・)。裏を返せば、過去にオリンピックで伊藤みどりしか成功させていないトリプルアクセルを3回も成功させた程度では、全く満足できないという超ハイレベルな境地で演技をしていたことになります。
その遙か上をいったライバルのキムヨナ選手。母国での注目度は真央選手を凌ものであったでしょうが、なんというメンタルタフネス!
お互いがお互いを尊敬しあっているように、ひとりではここまでは達せなかったはずです。
今後の2人の対決がますます楽しみです。
また、これに勇気をもらう子ども達がひとりでも増えるといいですね。